迂闊にも程がある

迂闊なおばさんの悲喜こもごも

次のドアをノックしてみた

 

実は9/30(日)・10/1(月)・10/2(火)と3連休だった。

(日)は前回のブログにあげた通り友人の田んぼの稲刈りだったけど、後二日も休みでブログを書く時間はあるにはあった。

稲を小学生たちと手刈りしたり軽トラの荷台に乗って(小声)移動したりなんてオモシロイ経験をしたのに何だか気落ちしてしまっていた。

思春期ははるか彼方(笑)、思秋期ですらとっくにたんまり経験済みと思っていたのに。久しぶりに味わう気落ち・・・。

 

何だ、何だぁ~、この感覚。

回りは秋晴れで何の湿りっ気もなく明るいというのに私のど真ん中あたりが暗く澱んでいる。それは何なのか、その後の2連休にとくと向き合ってみた。

まず、考えたのが「取り残され感」。

↓ 友人が自分のセカンドライフをあんなに活き活きと多くの人を巻き込んで生きているのに私ったら何?

でも、これに関してはすぐに打ち消した。取り残されるも何も友人があの団体を立ち上げる時に色々と誘ってくれていたのに、私は自分の力不足が不安な事と今のパート仕事をしながら関わる自信もなかったので、今の仕事をきっぱりと辞めるまではちょっと待ってと言い続けていた。今、思えば自分の出来る事だけを協力していけば良かったのに、変なトコ不器用でクソ真面目なところもある私。でも、多分逃げていたんだなあ。

心のどこかで私なんて役に立てないよって。

彼女と私の友人関係における温度差も多分にあったと思う。

 

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私は生活を維持するために今の仕事をパートで続けてきたのだけど、そこに悔いはまったくない。人が生きていくための様々な有様を学べた。知っているのと知らないのとでは、いざその局面に立たされた時違うだろうなって思うし、こういう場所がある事でどれだけの当事者さん達が救われているだろうとも思う。日々の業務はどんくさいながら懸命に取り組んでいるつもりです、15年。

 

なのになぜ気落ちしたのか。

しなければいけない事(生活していくために稼ぐこと)に気を取られ過ぎていた。

見ない様に、触れない様に。自分の肝のトコ刺激しない様に。

このはてなブログを始めたのもどっかでどないかしたいって思ったんだけど。

 

長々と何言うてますん(笑)。

 

シニアの生き方 とか 豊かに過ごす時間とか・・・

アホみたいにキーボード打ちまくったけど答えはそこにはなかった。

当たり前だ、そんなもん。

 

 

私が好きで出来る事。

お金になるとかそんなんして何になるとか、

そんなの誰に対する言い訳やったんやろ?

 

そういうのを濾していったらやはり辿り着いた事があって

そのこと自体が嬉しくそのことで行動を起こせている。

 

久しぶりに次のドアをノックしてみた。