昨日から続きますが、滝藤さんは一切登場いたしません。
予めご了承のほどお願い申し上げます。
しかも今日も長文です。
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父が言った。
「うかちゃんはひとりで何でもしてえらいなぁ」
『王将』でランチを済まし、某大手眼鏡屋さんですったもんだで用事を済まして、父の部屋を掃除していた時につぶやく様な声で言ったのだ。
(え?)
(ひとり?)
(ど~ゆ~意味?)
「ひとりて!?」
と、ベッドに寝転んでいた父の方を振り返ると父は目を瞑っていた。
家に帰ってからも
父のその言葉の真意を考えていた。
ひとり・・・・・・・・て何よ。
確かに私はひとり行動が多いし、友人も少なく、家族がいるにも関わらずひとり旅も何度もしてきた。
いや、父は私のそんな行動など細かく知らないだろうし、興味もないはず。
それに、私には夫もいるし、皆社会人になって家を出ているが子供も3人いるし、孫だってひとりいるのだ。
じゃ、父はなぜ「うかちゃんはひとりで何でもしてえらいなぁ」
と、言ったのか?
これはあくまでも私の推測だが、父は本当は
「いつも来るのはうかちゃんだけやな。うかちゃんだけに世話させてるな」
という事を言いたかったのではないか。
父はひとり暮らしが立ち行かなくなり30数年住んでいた家を手離し、娘の私の近く(と言っても車で25分位)の住宅型有料老人ホームに入居した。元々親戚づきあいも冠婚葬祭以外ほとんどなく、私の実兄ファミリーも関東住まいだし、孫(私の子供たち)も一人は比較的近くだが仕事も忙しいし、後二人の子供はひとりは他府県、ひとりは関東で就職していてお盆とお正月以外は父に関われるのは私だけだ。タイミングが合えば夫も協力してくれる事もあるが、夫は自営業で日曜日も仕事する時があり忙しい人なのだ。
という事で、普段父に会うのは私だけ。
さみしがり屋の父はそれが少し不満なのではないか?
とは言っても去年・今年の元旦には(コロナ禍だったからガラスドア越しだったけど)、私の家族全員(私達夫婦・長女夫婦と孫・長男・次女)で面会して、特に仕事柄お正月に休めなかった長男に数年ぶりの再会を果たした父はいきなり立ち上がって、ガラスドアにおでこをぶつけるくらい喜んでくれた、それを見ていた娘二人と立ち会っていた職員さんが泣き笑いしてたっけ。
そんな事もあったけど、
父は兄に会いたいんじゃないかな。
このお正月の全員集合涙の感動再会物語の時もガラス越しながら私に
「T(兄の名)は?」と聞いていたもの。
兄は父の自慢の息子なのだ。進学校~某国立大学~大企業でエンジニア(海外勤務長し)という理系男子の花道を歩み、父の優越感を存分に満たしてきた人だ。顔だちもまぁまぁで性格は明朗快活、超リーダーシップな男で大学体育会では部長かなんかしてたみたい。
そんな兄に比べたら私はごまめ(大阪弁では一人前扱いしてもらえない存在)のようなもん。今もそうかもしれない。
父がからだの不自由な独居老人となってから今まで、出来ることはしてきたつもりだが、どこか心の中で「私でごめんやで」と思っていた。
そんな卑屈な思いがあるから、父が兄の話をしたり兄を褒めたりするとカーッと頭に血がのぼる事がある、何て器の小さいことよ。おちょこ並み。
まぁ父も私との関りが長くなって本人も年も年だし、人生こんなもんと思ってくれてるかも知れないけどね。
「明るくて優秀な息子」と「迂闊でごまめの娘」。
チョモランマからマリワナ海溝くらい差があるけど、
緩急メリハリある子供を持ってしまった宿命として受け入れてもらわないと、私も割が合わない(笑)。
そもそも私の卑屈さゆえの推測が当たっているかどうか知らんけど、
もしそうだったとしても、父の気持ちはとてもよく解る。
なぜなら、兄は私にとっても自慢の兄だから。
どこかでヤキモチ焼きながらも兄の事が大好きで、
私も散々兄の自慢してきたから。
自分の事は棚にあげといて。
私も兄に会いたい。
兄嫁抜きで(笑)