迂闊にも程がある

迂闊なおばさんの悲喜こもごも

父 またまた こける (2222文字)

前略:お彼岸と言うのにげんなりするようなタイトルと内容かつ長文で恐縮です。

 

昨日縫合した傷の消毒のために病院に行って来た。

 

早めに病院に着いて受付を済ませ診察室の前で座っていたら、昨日の先生がいらして「あぁ、昨日は大変でしたねぇ」と声をかけてくださった。父が「あの先生やさしいなぁ」と言ったのが聞こえたのかどうなのか、先生が看護師さんに「早く呼んであげて」とおっしゃっているのが聞こえた。ベテランそうな看護師さんが「まだ時間前です。それにカルテが〇□▽×#・・・」とやんわりとたしなめる感じでおっしゃっていてクスッとしてしまった。

 

今日は念のためにレントゲンを撮ってもらった。

椅子が背もたれのない丸椅子だったので(既に胸騒ぎ)、技師の方に「とても転倒リスクが高いのでよろしくお願いします」と言ったら、「はい、気をつけます。外でお待ちください」と。

撮影が終わって私が父の腕を取って歩き出したら、反対側にはさっきの技師とは違う人が横について歩いている。えらい親切やなぁと思っていたら、その人が父に「お尻痛くないですか?」と尋ねている。

もう、この時点で半分お察しですやん。

でも、脊髄反射で「えっ!!」と声が出る。

「椅子に座る時によろけて尻もちつかれたんです」

「えぇっ! ドン!と強くですか?」

「いえ、後ろで支えていたけど支えきれずにゆっくりとって感じです」

(感じですて…)

以下省略

 

外科の診察室に戻ったらドクターが内線で「担当者呼んで!」と怒気を含んだ声で状況を聞いていた。ドクターは「ケガをした左手をついていないか」「頭を打っていないか」を確認して下さっていた。左手のレントゲンの結果は一応異状なしだったが、そのレントゲン室内でまさか転倒するとは…。ドクターが大きな声で父に「尻もちついたの?」と何度も聞いているのに、父は首をかしげるばかり。

 

父のその姿を見て、あぁ、もう次のステージに入ったんだなと思った。

何かと覚悟を持たないといけない段階に来ているのだと。

 

ホームに戻り看護師さんと職員さんに報告する。職員さんはいつも親身に聞いて下さる。それだけで気持ちが落ち着いていく。施設長さんが「同じ仕事しているから話が解りやすいし、いつも対応が早くて助かります」と言ってくださる。じんわりと嬉しい。

 

父には抜糸までに「絶対に守ってもらわないといけない事と今後の予定」を2枚の紙に書いて壁に貼った。言った言わない、聞いた聞いていないの不毛なやりとりを避けるために。

 

父は昨日と全く同じ服を着ていた。今までそんな事は一度もなかった。脱衣時に袖口を抜く際、包帯がずれてはいけない(包帯がずれると皮膚も裂けそうだから)ので、着替えていないのかも知れない。多分、父が拒否したのかも知れない。問いただしたところでどうにもならないし、私も理由を聞くのが躊躇われた。転倒した日も血で汚れたGパンを頑なに脱ごうとしなかったらしいから、あの綺麗好きな人が。

 

とりあえず、明日の入浴は中止になったので父の身体を清拭(せいしき)する事にした。そぉっと次から次へと服を脱がせて、頭からつま先足指の間、隅から隅までずずずいっと熱いお湯で濡らしたタオルで拭いていく。お尻の穴まで拭く。父は慣れているのか自らお尻を突き出していた(昔ぎょう虫検査のシールを貼る時みたいに)。もう、こうなったらお互いに恥ずかしいもへったくれもありゃしない。こういうのは淡々と黙々と遂行するに限る。少しでも中途半端な言葉を挟もうものなら羞恥の嵐が猛威を振るいそうだから(仕事なら平気だけど)。

 

全身拭き上げて、ユニクロヒートテック(本人は暑くないらしい、高齢者あるある)の上下を着せる。左の袖口を包帯に当たらない様にこれでもかっちゅ~くらいにびよんびよん伸ばして着せる。トップスは半袖にした。父は半袖は嫌いだけど、包帯をずらさないためには仕方ない。薄ーい生地のジャケットタイプの羽織(袖口広め)をプラスする。痩せたせいかブカブカだった。

 

帰り道、猛烈にお腹が空く。こう見えても朝食を食べられなかった。

滅多に入らないコンビニに吸い込まれるように入り、ギンビスの「BIGしみチョココーン チョコ味」を買って運転しながら貪る(ごめんなさい)。家に着くまでに半分くらい食べてしまっていた。もちろん帰宅してから全部食べ切ったのは言うまでもない。何と総カロリー645kcal!

もう、いいの。脳が欲していたのだから許す(自分に甘い チョコだけに)。

 

帰宅後、もう何度目になるだろう。

「ペコロスの母に会いに行く」を観る

もう意図的に観る。狙って観る。

何度観ても笑って泣く。しゃくりあげながら泣いて、声を出して笑う。

 

誰にでも均等に訪れる“老い”を、介護する家族の苦労話だけで構成していないという点が挙げられるのではないだろうか。ひとりの“母”が懸命に歩んできた80余年の人生とはどのようなものだったのか、逃げずに向き合う。必ずしも綺麗ごとばかりで括れなかった時代だということは、歴史が証明している。それぞれの人生が「事実は小説より奇なり」ということを、観客ひとりひとりも知っているからこそ、この認知症の母とペコロス頭の息子が紡ぐ笑いと哀切の連続に引き込まれ、どんどん愛おしくなっていく。

【「ペコロスの母に会いに行く」評論】老いとどこまでも前向きに対峙した快作

(大塚史貴)映画.comより引用

 

色々あるけど、がんばろ。

人には言わないけど自分には言う。