迂闊にも程がある

迂闊なおばさんの悲喜こもごも

取り戻した日常の愛おしさ

 

 

父がうちに来た。

 

父の日のことだが。

 

 

 

父は住宅型有料老人ホームに入居してもうすぐ9年になる。

今年の3月にやっと自由に外出できるようになった。5月8日から新型コロナが5類になることでやっとこさ解禁となったのだ。その旨のお達しが出た翌日、ラッキーなことにたまたま仕事が休みだったので早速父の大好きな「王将」で一緒にランチした、自由の身を祝って。約3年ぶりの外出を果たした父の足は頼りなくフラフラとしていて、私は大好きな男の腕にしがみつくが如く(笑)、父の腕に私の腕を回して二人で必死に歩いた(笑)。

 

 

 

しかし長かったなぁ。

2020年2月から2023年3月まで3年余りもの間、外出制限だけでなく面会も月に1度ひと組だけ、しかも制限時間10分。おまけにエントランスとロビーを区切るガラスのドア越しでの面会。

ただでさえすこぶる耳が遠い父とのあの頃の会話と来たら…。ほぼ絶叫(笑)。伝えたいことが伝わらないジレンマと誤解されて伝わってしまった時の切なさ。たまに通訳に入ってくれていた職員さんがある日ホワイトボードを持ってきてくださった。それからはほぼ筆談。と言っても書くのは私ばかり、だって父の返事や声はガラス越しでも私には聞こえるから(何せ父は声がデカい。耳の遠い人って声が大きくなるのよね)。

 

何か、なつかしいな。

 

 

12時過ぎに父を迎えに行く。

几帳面で何事もきっちりしている父はやはり既に玄関ロビーの椅子に座っていた。私の姿を見つけるといきなり立ち上がって手を振る。そばにいた職員さんが慌てて駆け寄る。父はひとりでは歩いてはいけない人で必ず歩行介助を付けて頂いているのだ。

 

父が私の車に乗る。実はこの車はホームに入居する前、往復300㎞離れた他府県の父の家を行ったり来たりするために父が買ってくれたものなのだ。4年間は300kmの道のりを走ってくれたがとうとう一人暮らしは出来なくなってしまい今の環境に落ち着くこととなるのだが。

話が横に逸れまくりだな、ついつい『あの頃』を振り返ってしまう。

 

助手席の父は行き先を聞くこともなく「お願いします」とデカい声で言う。私も負けないくらいのデカい声で「今日は父の日ぃでお店混んでると思うから又私んちに来て」。

外出解禁になってから一度うちに来ていた。その時は某ショッピングモールで車椅子を借りて買い物をした。車椅子に乗っていても自分の役割は「カゴ」を持つことと決めて「カゴ」を膝の上に置いてしっかり抱きかかえる様は可愛いとさえ思う。

 

あ また 振り返ってしまった(笑)。

 

 

 

父はリフォームをした我が家を見て、「うかちゃん(本当は私の本名にちゃんを付けて呼ぶ)がんばったなぁ。きれいや」と喜んでくれる。いやがんばったのは私だけじゃないよ、一部は夫のおかげでもあるのだから。

父は何故か夫の話題を一言も出さないけど(笑)。

 

 

早朝から準備していた「お好み焼き」を父に振る舞う。父は「餃子」「天津飯」そして「お好み焼き」が大好きだ。まぁまぁ大きめのお好み焼きをハフハフしながら完食した。その様子をスマホで動画と写真を撮り、遠方に住む兄と私の家族のグループラインに送る。早速、もうとっくに家を巣立った子供たちから返信がある。目がハートになってるスタンプとか…(笑)。そう父は子供たちにとっても可愛いジィジなのだ。

 

 

デザートは近所のスーパーで買ったモンブランケーキにした。3割引き也~~~~。

プラケースに2個入ってるアレね(笑)。「ケーキ食べる?こんなんで悪いけどぉ」(割引シールは剝がしておいた)「いや、1個でいい」(? へ?)「いや、1個は私のんですぅ」

父、苦笑い。

「おいしわー、おいしわー」と熱くもないのにハフハフしながら食べている。2個あげてもよかったかな?

 

 

やっとやっと日常が戻って来たんだな。やっと実感できるささやかな出来事たち。

ガラス越し面会とか部屋にも入れないとか、仕方ないとはいえ異常事態過ぎた長かった日々。

 

父、御年92歳。

 

帰り際はいつも少し寂しそうな顔をする父。

ありがと ありがと と 何度も繰り返す。

 

 

 

 

何をおっしゃるお父上!

生きてる間に迂闊な不肖の娘の私にこんなことをさせて貰えて、

ちょっと自信を貰えたし元気になれたし、

こっちこそありがと!やわ。

 

 

生きてるだけで丸もうけていうことわざ(笑)があるけど、

生きてるだけで居てくれるだけで、

私は地に足がついてる気ぃになれてます。

 

 

 

何かたいそやけど(笑)