迂闊にも程がある

迂闊なおばさんの悲喜こもごも

遠いところばかり見ていたけれど

 

きゅうりの消費に四苦八苦している。

 

わが家のささやかな庭でプランターの夏野菜を栽培している。ずぼらで迂闊な私でも何とか楽しめる程度には育ってくれている。ホームセンターで苗を購入したのだが『プランターでもすくすく育つ』等の殺し文句が付いている苗を選んでいるせいもあるからだろう。日本の育苗技術はすばらしい。

 

今までに10本以上のきゅうりが獲れている。「無限きゅうり」や「サラダ」、エバラ浅漬けの素による「浅漬け」等それなりに無い知恵を絞りまくり工夫をしているのだが、もう既にもてあまし気味。そないに毎日きゅうりばかり食べてられない。車で15分くらいの所に住んでいる長女宅へ持っていくという選択肢も考えたが、長女の夫が唯一食べられない食べ物が「きゅうり」と来たもんだ。「婿殿!なぜにきゅうりだけ…」。

 

旅先の土産物屋の店先で売っている『きゅうりの一本漬け』なるものを真似してみたが何かが違う。そう、あれは暑い中歩き回ってふと目に飛び込んでくるオアシスのような物なのだ。割りばしにつんざかれて店先で屹立する見目麗しい涼しげなお姿に暑さでやられた脳が思わず反応するのだ。家で真似してもな~んの感動もありゃしない。

 

 

 

長々ときゅうりについて語ったが、プランター栽培の家庭菜園は春から夏の恒例行事となった。

夢見る夢子ちゃんだった私は今でいうサスティナブルなライフスタイルに憧れて、農家のお手伝いに行ったりしていた時期があった。色んな作物の色んな産地に行った。山形県の無農薬栽培の田んぼの草引きに行った事もある。炎天下の下、泥の中に靴下で入って手で草を引くのである。草引き以前に泥土に足を取られて前へ進まない。手伝いどころかとんだ足手まといだった。今なら「よその田んぼの草引きしてる場合か?うちの庭のボ~ボ~の芝と草刈りせんかい!」とは思う。でもあの頃は持続可能な農業を営む農家さんを本気で応援していた。なんて凄いかっこいい人たちなんだろうと思っていた。もちろん今でも気持ちはある。細々ながらつながりもあるが現地に行くことはなくなった。

月日は流れて子供たちの受験・就職、親も老いていき介護が必要となり、夫の仕事も立ちいかなくなった時期もあり、そんな活動をしている場合ではなかったというのが現実である。優先順位の問題ですね。

 

で、一周回って自分のベースに立ち返る。

今、家が好きだ(笑)。庭仕事もなかなかどうして楽しい。

以前は忙し過ぎて「何でこんなに草ばっかり生えてダンゴムシだらけやし庭なんかいらんねん!」と草ボ~ボ~の荒れた庭から目をそむけていた。マルチタスク型じゃない私には家事・子供・仕事・介護ましてや庭の手入れまでこなせる能力はなかった。

 

時間のゆとりが出来るってすごいことだな。

今まで見えていなかった物が見えてくるというか、気付くというか、視界がふわぁっと開けてきて意欲が沸いてきた。この家をもう一度見直して大事に長く住めるように手をかけていこう。高望みをやめ足るを知る瞬間だった(笑)。

 

今日はパートの仕事が休みだったので朝から芝刈りと雑草引きに勤しんだ。テニス肘(テニスしてないけど)が痛むが終わった後の達成感が好き。きれいに刈り揃えられた芝はスッキリして気持ちいい。きゅうりの葉っぱの縁には小さな水滴がいっぱい並んでビーズ細工みたいやし。鈴なりのミニトマトが順番に赤く色づいている様は可愛らしい。

今日のモーニングコーヒーは一段とおいしかった。

 

 

昔の私に出会えたら伝えてあげたい。

「たくさんよそ見しなさい。でも帰るところは決まってるよ。だからそんなに背伸びしないで」と。

 

 

わが家のきゅう太郎