迂闊にも程がある

迂闊なおばさんの悲喜こもごも

まっ白なスニーカーをはいて闊歩した

 

5時過ぎに目が覚めた。

何となくだるい目覚めだ。

 

昨日の事は引きずっていないつもりだったが、潜在意識の片隅でこちらを伺っている様なやな感じ。窓を開けるとすぅっと冷涼な空気が流れ込んできた。この瞬間が好き。夏は断然早朝だな。清少納言には悪いけど。「夏はつとめて」推す。

朝のコーヒーを煎れて庭を眺める。きゅうりの葉っぱはところどころ枯れた様になっているのに実をつけている。ミニトマトもブルーベリーも。健気やなぁ。見ていると目頭が熱くなってきて。

ヤバい。

この感じはヤバい。

 

昨夜、ベッドに入ってから読んでいた本を取りに行ってまたパラパラと走り読みする。

2冊とも相当前に読んだ本で表紙なんか黄ばんでしまっているし、ちょっとかび臭い。

 

 

私自身の心のバランスの問題として、「大したことのない私」というのはとっても重要なコンセプトです。私がまともでいるためにとても重要。

「かけがえのない、大したことの私」 田中美津 インパクト出版会

 

「目指す」のではなく、もうすでにそこに「在る」のだヨ。目指すのでは揺れ動く。「すでにそこ」だヨ。「自在」というのはもうあるよ。それぞれの中に…。生かしていこう。

「往復書簡 カメオのピアスと桜えび」 有田雅子 清野恵理子 集英社

 

 

今日はヨガに行くのはやめて、図書館へ向かった。9時半ごろに着いたのだが、開館時間は10時だった。いつも仕事の帰りすがら寄っていたので知らなかった~。公立関係のところって9時から始まるイメージだったわ。後30分も駐車場でカーエアコン付けながら待つなんて、そんな地球に厳しい事はできない(自分ちの冷房節約も兼ねて図書館に来たのはどこの誰や)。

 

で、某大型ショッピングモール内の某大型書店へ行くことにする。目的は田中美津氏の「ぼーっとしようよ養生法」が欲しかったから。この本は過去Amazonで購入していたはずなのだが、家中どんなに探してもない。前に本を相当処分したから混ざっていたのかも知れない。田中美津氏の著書は他にも「いのちの女たちへ とり乱しウーマンリブ論」と「新自分で直す「冷え性」」を持っているのにこの本だけがない。ないとなるとどうしても読みたいとその事ばっかり考えてしまう私の猫まっしぐらな性格が発揮されてしまった。

 

予想はしていたが某大型書店には置いてなかった。調べてもらったら版元にもないとの事だ。改めて、その本を失くした事が悔やまれた。Amazonを見たらあるにはあったが中古だし、時間が経って冷静になってみると「そこまでして欲しいか」と。本を読んでまでがんばって「ぼーっと」しようなんて何か可笑しい。

 

何かもう気が済んだというか。若干引きずっていたモヤモヤもバタバタと動いていたら忘れてたし。根本的には何も解決されてないけど、もう「そんなしんどい事考えるのは今はやめておこう」という解決策に逃げることにした。

 

そんな事よりも(笑)、今日は好きだったスカートが入ったのだ。30年近く前のラルフローレン。麻100%のオールプリーツでひと目惚れして清水の舞台から飛び降りる覚悟で買ったもの。見るとW63 H91とタグにある(今の規格は64になったのかな?)。嬉しくなってコーデを考えて床置き撮影しましたとも(最近、この作業が楽しい)。

 

 

件のラルフローレンのスカート・MUJIの疲れない撥水スニーカー。
トップスは数年前の麻100%。

 

べっ甲とパールのネックレス。母が遺してくれたもの。

そのコーデで某大型ショッピングモール内をずんずん歩いた。先月購入したばかりの真っ白なスニーカーをはいて。解決しようもないモヤモヤに心を持っていかれるよりも、30年前のウエストサイズのスカートをはけた、その事実の方に重きを置こう(笑)。

身も軽くなったから心も軽くしようなんて綺麗にまとめるつもりはさらさらないけど、そういうことなんだろう。