迂闊にも程がある

迂闊なおばさんの悲喜こもごも

夜逃げの様な次女の巣立ちの日から早10年  



東京在住の次女から「今からロサンゼルスに行く」

と、ラインが来た。

 

事前にビデオ通話で聞いていたけどすっかり忘れていた。しかも忘れっぽい私のために、手紙でロス行きの予定とお盆休みの予定を書いてくれていたのに。

(近所の小学生が夏休みに入った様子を感じ、次女の旅行もそろそろやなぁ、とは思っていた。まぁ32歳の社会人ですからして。昨今の世界状況を鑑みるとそりゃ心配だが、同行者の高校時代の仲良しさんがしっかりしている人でそこは大丈夫かなと…。)

 

「現地からインスタでちょくちょく報告するので生存確認してください」とのこと。

(子供たちの様子を確認する為だけにインスタ登録しているが、最近ぜっんぜん見てなかった😓)

 

慌てて「いってらっしゃ~い」と返す(さも覚えてましたよ風に)。

と、同時に仲良しさんとのフライト前の2ショットが送られてきた。二人の満面の笑顔を見てすっかり安心する。

 

次女は高校卒業後美大に進み、東京のデザイン会社に就職してグラフィックデザイナーとして勤務している。仲良しさんは高校教師で、彼女の夏休みに合わせて次女もひっちゃきになって仕事して、この休暇を勝ち取ったのだ。えらい!!!

で、またお盆に大阪に帰ってくる。そんなに休んで大丈夫か?とそこは心配するが、

次女によると「大丈夫、やることはやってるから」。

かっこい~ぞ! 次女。

 

て、我が子自慢聞いてられませんよね(笑)。

 

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次女が就職した前後、わが家の経済状態はかなり厳しくて時間的にも余裕がまったくなかった。地元大阪では次女が納得できる働き先を見出せず、東京での就職活動となった。運賃・滞在費、内定後は住居探しの費用、住居が決まると初期費用とお給料が出るまでの一か月分の生活費とお金が飛んでいった。

 

就職が決まり東京に移る日。

タウンエースを借りて前日の午後10時頃家を出た。地方から出てきていた大学の友人達が譲ってくれた冷蔵庫・洗濯機・電子レンジ・テレビなどの電化製品や書籍類、身の回りの物を積んで。かなり厳選したが車内は満タン状態で次女は荷物の中で小さくなっていた。膝には古い毛布でくるんだMac(私が仕事で使っていた物を大学時代に次女に譲っていた)を大事そうに抱えて。

「夜逃げみたいやなぁ」と笑ってはいたが。

 

当時出来たばかりの新東名のトイレが真新しくて「きれいやねぇ」と次女とふたりでトイレで写真撮影したりしてね。真夜中に走ったのが功を成したのか、東京都中野区の現地には予想よりも早く到着した。どっかで朝ごはん食べようと、大阪でも馴染みのあるロイヤルホストに入りモーニング。何を話したのかは忘れたが写真が残っていて、すっぴんの次女が私にそっくりで笑える。

 

今は引っ越したが、次女が東京で初めて居を構えた町。
追記:これは次女の近所写真でないことが判明しました。お詫びして訂正致します。



アパートに着いて大家さんにご挨拶したり手土産を渡したりした後、荷物を搬入して、近所のスーパーに必要な細かい物を買い出してついでにお弁当を買って、テーブルもない部屋の床で食べた。その後、自転車を買いに行ったり銀行に行ったり。夫は部屋のど真ん中で大の字になってバタンキューだったけど(笑)。

鉄の階段を上っていくような年代物のアパートだったが、大家さんの敷地内にあって、大家さんちのおじいさんが1階に住んでおり、アパートに入るにも大家さんちの門をクリアしないと中に入れないというある意味すばらしいセキュリティシステムだった(笑)。東京メトロの某駅から徒歩3分という立地も安心材料だった。夜道を長く歩く必要がないから。さすが次女、予算内でのベストチョイスだったと思う。大学の友人の不動産会社に勤めているご兄弟のお陰でもある。本当に色々な人達の協力の賜物です。

 

午後3時頃、いよいよ私たちが帰らなければならない時間が来た。夫も私も一日しか休めなかった。夫は自営の仕事が上手くいってなかった時期だし、私はと言えばまだ父が今の老人ホームではなく、ひとり住まいだった往復300㎞離れた所に月に数日泊りがけで通う為に、休みを取っていたので余分に休めなかったのだ。

 

別れる時、思わず涙がこみあげてきて「さみしい」とつぶやいてしまい、次女が「やめて」と横を向いた。

 

帰りの車内ではめそめそといつまでも泣いている私に夫が「いけるか?」(大阪では「大丈夫?」とかのニュアンス)。

それなのに私は「私らに力がないからゆっくりしてあげる事もできへんかった」と、せんない事を繰り返してしまった。ダムが決壊したかの様な私の繰り言を夫は何も言い返さず黙って聞いていたっけ。さみしいのは私だけじゃないのにね。

 

あの弾丸引っ越し日帰り旅は次女や夫との間で笑い話として語り草になっているが、心のどこかがちくりとなる。もっと、してあげたかったと。

今では次女はなりたかった職業に就き、料理を一手に引き受けてくれるパートナーと同居していて、自由に自分を生きている。私とは趣味嗜好もどちらかというと似ていて、帰ってくる度に美術館へ行ったり、楽しくて豊かな時間を与えてくれる。お盆休みの予定は未定だけどすっごく楽しみ。

 

 

長々と振り返り、語ってしまいました。

 

その割には今回のロス行きの事、忘れてたけど(笑)。

そんだけ、成長したって事やね。

 

 

次女が高校時代に作ったランプ。
追記:これは長女が作った物と判明しました。お詫びして訂正致します。