迂闊にも程がある

迂闊なおばさんの悲喜こもごも

いったんは噛み締めてみる

 

朝晩めっきり涼しくなった。

今日の朝なんか寒いくらいで、ちょっと前まで足元まで蹴り倒していた布団を首まできっちり被って寝ている。

エアコンを稼働させなくて良い時期は尊い、地球にも財布にも。

夜も窓を閉めたままでも十分快適に過ごせる。

だからゆっくりブログも書けそうなものだけど…。

今日もノートパソコンを開いて皆さんのブログを拝読し、コメントにときめいて、さて「記事を書く」をクリックして編集画面を開くものの、一文字たりとも入力出来ない。

 

最近、何だか介護日記みたいな様相を呈してきている様な気がしないでもない。

いえ、介護などと自惚れてはいけないだろう。

父を自宅介護しているわけでもなく、住宅型有料老人ホームにお世話になっているのだから。

一文字たりとも入力出来ないと前述したけど、今日あった出来事が思いのほか私にダメージを与えている。いつもならそんな時は書かない事にしている。

何で?読む人の気持ちが暗くなるかも知れないから?

でも、それじゃ私の日記(備忘録的)ではなくなってしまうからやっぱり書きます。

まとまらないと思うけど。

 

職場での事。あるケースについて話している場に出くわした時に聞いた発言。

「そんなに可哀そうと思うなら同居してあげたらいいのに」

同調する声が上がる。

 

思わず足が止まり、心も停止した。

別に私に言われた事ではないけれど。

 

発言した人も同調した人たちも普段の仕事はとても出来る人。オフレコの場ではたまにおいおい言い過ぎでしょ?と思われるような発言が飛び出る事もあるけど、そういう事も吐き出さないとやってられない事もじゅうぶん承知している。オンオフの切り替えはいつも見事だし。対人の仕事をしている職種なら多かれ少なかれある事だと思う。ただ、私はその手の発言を聞く耐性がすこぶる弱い。

 

先の発言が私にダメージを与えたのは、自分が今抱えている事態もあるけれど、そんなに単純なもんじゃないでしょう、という思いもあるから。

人生いろいろとか言うけど、本当にひとりの人生に関わるヒト・コト・モノは多種多様で入り組んでいて、どうあがいても叶えられないこともある。解っていてもどうにも出来ないこともある。

 

発言した人も深い意図があって言ったのではないでしょう、きっと。

前後の話の流れで「そんなに文句言うなら一緒に住んだらええやんか」くらいのノリだったのかも知れない。

あぁ、そうか、そうかも知れないな。その人は自分がそういうケースの当事者ではないから所詮は他人ごとなのだから。いちいち当事者意識を持って事に当たっていたら神経は持たないし、ある種の客観視は必要。

 

私がどこかで潜在的に罪悪感的な意識があるから過剰に反応したのだと思う。

単純なのは私なのかも…。書いている内に気持ちが鎮まってきている。

 

*********************************

 

今夜はそんな思いもあり、父がホームに入居するまで遠距離介護していたあの頃に出会った本をパラパラと読み返していた。あの当時、救いを求めるかの様に貪る様に読んでいたのに今はまた違った感覚だった。遠い思い出の様な…。

時が流れたのですね。