迂闊にも程がある

迂闊なおばさんの悲喜こもごも

人工物じゃなかったんだ

 

昨夜は勤務先のグループ企業合同の新年会で帰って来たのは午後11時半。

お風呂に入るのが精いっぱいで髪もろくに乾かさず就寝。

今朝起きたら怒ってもいないのに怒髪天を衝く勢いの髪の荒ぶれ具合に「おぉっ」っと我が事ながら声が出た。

 

コロナ禍もあり4年ぶりの開催。

行く前はちょっと億劫に感じていたけど行って良かった。案ずるよりも産むが易し、というか。私が前に在籍していた事業所のスタッフにも会えたし、中でも自分が勝手に苦手と思っていた人とも色々と話すことが出来たから。

その中でもリップサービスかも知れないけど、「〇〇〇(私)さんの影響で一人旅行ってますよ」とか、「〇〇〇(私)に教えてもらった○○○のヨガはまだ続けてるよ」などなど嬉しい事を言ってくれる人たちもいた。

本当に意外でびっくりした。

何か、勝手に「私なんて」みたいに自分で線引きしちゃってたけど、あの頃あの場所にいた私は確かにいた事を伝えてくれている様な気持ちになれた。

 

内に入る事で守っていた様に思えていた事も、

ちょっと外に出る事(今回の場合は人に会うという事なんだけど)で、

ところどころで錆びついていた思い込みの数々が、

「あぁ、そういう事だったんやねぇ」ととてもアバウトな表現だけど、

溶解するというか…。

単純かも知れないけど、心のどこかに澱となって沈殿していた事が濾過されたみたいな。

 

出かけて良かった。

「行きましょ」と誘ってくれる人にも感謝。

 

そんなアノ人もコノ人もが変わらず元気でいてくれる事がうれしい。

 

 

 

お正月に飾ったお花の内、金柳から芽(?)が出ていた。
こんな風に加工されていても生きているのですね。