迂闊にも程がある

迂闊なおばさんの悲喜こもごも

マグカップは割れたけど

 

自分用のマグカップを買い足そうと思っている。

 

長女が母の日に贈ってくれたムーミンのマグカップも好き。ただ、一度にたっぷりとコーヒーを飲みたい私には少し小ぶり…。というか何よりもの理由は一番のお気に入りで大事に大事にしていたマグカップを割ってしまったから。

 

 

 

割れたのはもうひと月以上も前の事。もうショック過ぎて「えっ!?割れた様に見えて実は割れてないからっ!?」との強気な思い込みで乗り切ろうと、破片を元位置にハメて原型を留めたテイにしてキッチンの出窓のそんなにはよく見えない場所に置いていた(あまり見えると辛いし、見えていないとさみしい。どないやねん)。

「金継ぎ」という技法で再現できないかと夢想するもそんな技法が似合う様なモノでもない。

 

このマグカップは父が私にくれたものだ。

もう5~6年くらい前になるかな、父がまだひとりで歩けていてコロナなんてなくて自由に外出していた頃。父はホームの近くの「ダイソー」によく行っていた。今のホームに入るまでは百均という場所に足を踏み入れたこともなかった父がダイソー色んなモノあるパラダイスにハマったのだ(笑)。

ダイソーフリークの方ならご存知だろうか、シールを集めていくらか加算したら人気キャラクターのグッズをゲット出来るというシステムを。

父はそのダイソーシールを集めてピーターラビットのマグカップを2個ゲットしてくれたのだ。ひとつは長女がひとつは私が貰った。長女は「ちょうどこんなコップ欲しかってん!会社でお弁当食べる時のお茶に使うわ、ジィジありがとう!」と喜んでいた。私も自宅でコーヒータイムはもちろん使い倒していた。大きさやテーブルに置いた時の安定感も大好きだったし、何よりも父がちまちまと(笑)シールを集めて不自由な手で台紙に貼ってゲットしてくれたものだと思うと頬が緩んだ。

 

あの頃は毎週父に「好きな物を買ってな」とお小遣いを渡していた(私のお小遣いよりも高額だったけど(笑))。父はそのお小遣いの中から百均で買い物をしてせっせとシールを集めて一生懸命貼ってくれていたんだな。きっと、何もしてあげられない、いつもしてもらってばっかりで…という思いもあったのかも知れない。

もちろんそんな事はあの百均のマグカップを貰った後で考えた事だけど。だからこそ大事にしていたのにね。

 

割れてしまったものはもう完全に元に戻る事はない。

元に戻したテイで破片がはめられたマグカップ

何事もなかったかの様に見えるけど、よぉく見ると亀裂が恥ずかし気に走っている。