迂闊にも程がある

迂闊なおばさんの悲喜こもごも

こころの移ろいと共にお雛様

 

昨日は大阪でも雪が舞った。職場の休憩中に誰かの「あ!雪」との声に慌てて出入口まで走って写真を撮ろうと思ったのにささやかな風花は一瞬で消えてしまった。

 

今朝はとても冷えたけど日中は陽射しが燦燦と降り注ぎ気持ちの良いお天気。うららかな陽射しがうれしい今日は桃の節句

 

滑り込みで雛飾りの親王様をお飾りした。旧節句の4月3日までは良しとする(強引)。ギリギリまで引っ張っておいてやっぱり飾ろうと意を決したのは先日父のホームへ行った際、玄関先に飾られていたお雛様を見たから。

父に会うのは正直気が重い事も多い。その日も父が昼寝をしている内に掃除や備品調整などを済ませただけで帰る間際になってから父に声を掛けた。超難聴の上に最近話題によっては目も合わさない父と語り合うのが億劫だったから。そんな時に毎年ホームの玄関に飾られるお雛様と目が合って「あんた何をそんなにキツイ顔してはるん?」と言われてる様な気がして。

 

この玄関ホールにはいつも季節の花や飾りがあしらわれている。一人では外にも出る事もままならず季節を感じにくい方々が大半だけど、ここも家だものね、父や入居者さんにとっては。父なんか気が付いていないと思うけど(笑)。それでもこのお雛様の様にちょっとした気遣いに心和む。

 

わが家もやっぱり飾ろう。

あの無駄に奥行きがあってちょっとカビ臭い玄関収納庫内に潜入するのも嫌で二の足を踏んでいたけど、収納庫の闇に分け入り一番奥の箱から親王様とお飾りと親王様の台を出す。ついでに不要な物を捨てふき掃除して片付けた。くしゃみの嵐が吹き荒れる。

 

 

上の写真はリビングの一角に今も飾っているもので夫の実家での長女の初節句の様子。私の両親が初孫である長女のために7段飾りの雛人形を買ってくれた(左の市松人形も)。結婚して2年ほど私たちは夫の実家が所有するハイツ(2DK)に住んでいて当然飾る場所などなく夫の実家に飾る事になった。私はケースに入った小さな物でいいと希望したが、お義母さんが「本家(夫の実家は分家)のお嫁さんの実家は100万円の7段飾りを用意した」ととってもお上品な事をおっしゃられたので(笑)、両親が無理して用意してくれたのだ(もちろん100万円ではないし必要もない)。それでもこの7段飾りの事は決して褒めなかったなぁ、お義母さんは。

 

その後、一軒家に引っ越して晴れて7段飾りを飾る事は出来たけど、その度に(親に無理させたなぁ)と胸がギュッとなった。お義母さんからは毎年「ちゃんと飾ってる?」って詮索されるし(笑)。そうこうしている内に7段で飾る事はなくなり、桃の節句が近づく度に何かに追われる様にかろうじて親王様だけをピアノの上にポンと飾ったり。「もっと小さなお雛様なら気楽に喜んで飾れたのに…」とあの初節句の苦々しい思い出も相まっていつしか飾らなくなった。

 

私たちの初孫の初節句の際にはケース入りの小さな親王飾りを贈った。出しやすいせいか毎年飾ってくれている。

 

2~3年前、人がひとり余裕で入れる位の巨大段ボール箱に入れられ収納庫に眠ったままだった7段飾りの備品と言うか道具類をすべて処分した(人形はすべて残していて、いずれ別の方法でお別れするつもり)。両親が7段分の思いとお金をかけてくれたのに本当に胸が痛んだけど。手離す時はひとつずつお礼を言って送り出した(何かそういうのってお天道様がちゃんと見ている気がして)。

収納庫は巨大段ボール箱がなくなったお陰で広くなって、眠ったままの道具ではなく今現在必要なモノたちの居場所になっている。

 

今朝飾ってみて金屏風は残しておいたら良かったと後悔した。背景がちょっと寂しい。

急いでお花を買ってきて下手なりにあしらう。明るくなって一気に春めいた。

遠目に見たり近くで見たり写真撮ったり何かときめくし上がる⤴。

こんな風に暮らしに季節を取り入れる気持ちのゆとりを大切にしたい。私はケチん坊だけどこういう時間はケチったらあかん。

 

 

 

↑ 女雛様が少し前かがみでお顔も少しうつむき加減なので下にハンカチを敷いてみた。う~ん、あんまり変わらないか…。

令和の女雛様はもっとまっすぐに前を見なきゃね。