迂闊にも程がある

迂闊なおばさんの悲喜こもごも

15年

 

たった一人の孫が15歳になった。

 

孫の年齢を言うと大抵驚かれる。

私は大学を中退して小さなデザイン会社で働いた後に、結婚して22歳半ばで長女を出産した。その長女が25歳の時に母親になり、私は48歳手前でおばあちゃんになった。

 

孫が生まれるまでは「えぇ~っ、この年でおばあちゃんなんて恥ずかしい」などとたわけた事を思っていたけど、生まれたばかりの孫に対面した瞬間、もうおばあちゃんでもおじいちゃんでもこの際何でもよろし!ってな程にメロメロに瞬殺されたのである。天使が舞い降りるとはまさにこの事。この日から毎日車で長女と孫に会いに行った。

 

私は大阪住まいだけど、大阪市内ではなく政令都市ながら長閑な郊外の新興住宅街に住んでいて都会での運転は大の苦手。長女と孫のいる病院は十分過ぎる都会で、運転歴だけはおそろしく長い割に、とてつもなく方向音痴の私が当時ナビも付けていない車でよく毎日通えたもんだと思う。

暗くなった新御堂筋の長く続く車列のテールランプ、後少しで車線変更しなければいけないのになかなか入れなくて心臓がバクバクしていたっけ。強い思いは岩をも通すというけれど、孫への思いは迂闊な私を新御堂筋をも走らせたのであった(笑)。

 

孫が2~3歳の頃、一時期一緒に住んでいた。この頃は長男も次女もまだ家に居たし、わちゃわちゃしていたけど、「生きてます感」はみなぎっていた。当時の私は前職が不況のあおりを受けクライアントが激減、ついでに収入も激減し生活防衛(笑)のために転職したばかりだった。何のゆかりも経験もない今の業界での仕事に疲れ切っていたけれど、長女は晩御飯の支度をしてくれていたし、家に帰れば満面の笑顔で駆け寄って迎えてくれる孫がいた。お互いにしんどい時期を共有したこの頃、今では笑って話せるエピソードには事欠かない。

 

子どもは3歳までに一生分の親孝行をすると言われる。自分が子育てしていた時にはピンと来なかったけど、あの神がかった可愛らしさは祖父母孝行を充分してくれた。

我が家のダイニングテーブルの天板には小さな亀裂が入っている。ダイニングテーブルのステージで孫の「マル・マル・モリ・モリ」のワンマンショーが毎晩の様に開催されていたから。今でもその亀裂を見ると胸の奥の方に切なさと共にあったかい何かが溢れてくる。

 

 

そんな孫も受験生。3年の引退までがんばった部活も有終の美を飾り、今は塾通いで忙しい。「インフルエンザが流行っているので体調には気をつけてね~」とラインでお祝い&メッセージを送る。

 

事前に長女には孫のお祝いは「現金をお渡しする」と伝えてある。小学生の間は一緒にお買い物に行って孫の好きな物をプレゼントしていたけれど、中学生にもなると部活や塾、お友達づきあいで忙しいのでニコニコ現金払いが一番。それは孫の成長の証し。それでいい。

 

ひと目一瞬で私をおばあちゃんにさせた誕生から早15年。

いつも仕事や父の事や要領の悪さもあってバタバタしていた私。憧れていた「西の魔女」にもなれず、充分な事もしてあげられなかったけど、心身ともに美しく成長してくれた事に心からのリスペクトを。

 

今日、長女たちは孫とお出かけした後、夜お祝いの宴を囲むらしい。

2人の生活から新しい家族を迎えてもう何度目のお祝いになるかな?

孫の人の本質をまっすぐに感じる偏らない心が愛を育て受け容れたからこそ今がある。

 

 

ジジババはちょっと近い場所から遠目に見守らせていただきます。

この場所は絶対に動きませんので。