迂闊にも程がある

迂闊なおばさんの悲喜こもごも

樹のみちを歩いて再生に出会う

 

最高にいいお天気。干した洗濯物も気持ちよさそう。

花粉症が今ピークを迎えつつあるのでお布団を干すのは断念。掛布団と毛布をエイヤァーッとめくって窓からの陽射しをベッドに当てる。

モフモフのハンディモップであらゆるところを掃く?拭く?していく。もうお天気がいいだけでルンルンだ。そう言えば「ルンルンを買ってお家へ帰ろう(林真理子のデビュー作)」は画期的に面白かったな。

makitaのコードレスで掃除した後は長い方のクイックルワイパーに固く絞った雑巾を装着して床を拭き上げる。おトイレだけは専用雑巾を付けて拭き上げる。

 

お昼ご飯を食べてから「大泉緑地」へ出掛ける。

本当はお弁当を持って行きたかったんだけど、孫がまだ2~3歳の頃に同居していた時期があって私の長女(孫の母親)と孫とでお弁当をテーブルのあるベンチで食べていた時、カラスがサササァ~ッと急に現れてお弁当のおかずをかっさらっていくという恐怖に見舞われたのだ。本当に一瞬の出来事で3人とも😱。テーブルの上のお弁当はひっくり返るし。楽しいアウトドアランチは台無し。私はとにかく孫に後々の恐怖感を与えない様にと「あの子たち(カラス)も生きるために必死なんよ」とか何とか言ったりしてた(浅)。

孫はその後遊んでいる最中も家に帰ってからも「鳥さん、ひゅ~っと来たなぁ」「おべんと持ってったなぁ」と何度も言ってた。よっぽどのインパクトだったのだろう。そりゃそうだ、63歳の私だって未だに鮮明に覚えてるんだから。でもね孫のその「ひゅ~っと」の言い方が可愛いすぎた。

そんな恐ろし気な事があったのでブロッコリーとツナのパスタをたらふく食べてから緑地へ向かう。

 

ここ大泉緑地は子どもたちが小さい頃は何度も遊んだ場所だけど、一昨年のロハスフェスタで訪れてから久しぶり。

事前に緑地のマップをプリントアウトしてこれまで知らなかった道を歩いてみた。

「樹のみち」という道を。

 

舗装されていない土の道の感触は足にやさしくてずぅ~っと歩いて行けそう。勾配も緩やかで息が上がる様な事もない。この道なら夫も苦しくならずに歩けそう。

 

少しだけ上がっていくとお山のてっぺんでした(低っ)

 

樹のみちを進んでいくと緑地内で一番大きな「大泉池」に出会う。とんでもなく美しい光景に出会った。枯れ蓮のモノトーンの世界。しばらく見つめるしかなかった。

 

 

 

蓮の花が咲いている様はさぞかしの美麗さだろう。その姿もぜひ味わいたい。きっとバズーカ砲の様なレンズを構えたカメラマンたちで一杯だろうし、ただ美しい光景を見たいという方々であふれる事だろう。それでこそ公園だ。

 

枯れ蓮の間を水鳥が行く。時々かわいいお尻をぴょこんと上に向けて水の中に突っ込んでいく。何か食べる物があったのね、良かった。飼われているワケではないって事ね。

※緑地内の生き物に餌をあげる事は当然禁止。

 

 

樹のみちを進んでいく。

この公園にはもう何度も来ていたのに、初めての驚きと新鮮さでココロはたっぷりと満たされていく。

 

 

2018年9月の台風21号が大阪を直撃し、この緑地内の樹々約800本が倒木した。5年後の今でも切り株状態のままの姿があちこちにある。何だか涙がこぼれてくる。

自然のする事は悪気もないけど、だから人はかなわなくて・・・。

 

よく見て見ると切り株から色んな木々が芽生えている。人が敢えて手を加えることなく自然のダイナミズムで再生していく姿を此処は私たちに伝えようとしている。それは手つかずの野生の地ではない人の知を以てする試みなんだろう。

 

自然はとてつもなくデカくて人の手を入れられるのはほんのちょっと。

それでもこの痛みの記憶と再生のエリアの樹のみちの足裏に感じるやわらかいこと、あったかいこと。倒木した木を粉砕したチップが敷かれているのだ。そこには人の智慧や気持ちがあると信じたい。それはこの緑地だけに限った事ではないでしょう。

 

ヒメオドリコ草とオオイヌノフグリ

プリントアウトしたマップを見ながら樹のみちを歩いてきたつもりなのに、途中でまったく方向を見失う。私が方向音痴という事をすっかり忘れて歩き回り過ぎた。途中で公園のメンテナンスをされているおっちゃん達に私が停めた駐車場の位置を教えて頂く。

みなさん、めっちゃやさしい^^

そんな方々がこの緑地を緑地たるものにしてくださっている。

おかげさまでいいお休み時間を過ごせました。

 

孫の試験終わる。次に会うのを楽しみにしてるよ。